ガイド紹介

いくつもの分野で活躍するマネージの天才

guide No.3

松田 幸和子

1964年生まれ。福岡県出身。(株)NAGAI統括本部長。
香蘭女子短大卒業。栄養士。
保育園勤務後、フレンチレストランにてフランス料理を体験。1988年NAGAI入社。
様々なプロジェクトのリーダーとして豊富な経験を持つ。
長身から繰り出されるキレ味バツグンの言葉は温かくチャーミングだ。ガイド、田ぐり庵の統括部長、ダイアローグシェアSHOWの総帥、といくつもの分野で大活躍。マネージの天才。時々、天然ボケ的発言でみんなを笑いの渦に引き込む。
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関わったきっかけ


失恋がきっかけなんですよ。当時保育園の栄養士をしていて、同期の友人に「面白いからおいでよ!」といわれたんです。その時は、全然その気がなかったんですが、それから2年経って、当時ルームシェアしていた友人が、私の好きな人と付き合っていることが分かったんですね。ショックだったんですけど、言いたいことが言えない私は、静かに身を引いたんです。今では、あり得ないことですよね。
失恋の痛手から気分転換しようとNCGのプログラムに参加しました。

プログラムの最初の印象、変化


一番、印象にあるのは、「お母さんに言いたいことを言ってください」というエクササイズでしたね。私は、言ってもしょうがないし、特に何もない、と思っていたんですが、出てくる出てくる出てくる! 今までの親に対する不満があふれてくるわけです。

そして、気がついたのは「言いたいことがあっても、本音は言っちゃいけない」「一番やりたいことは絶対言わない」「自分の好きなことをして生きていない」という生き方をしていたことでした。これは、すごい発見です!自分の人生のからくりが見えたわけです。驚きでした。
それから、先にNCGに関わっていた先輩に誘われてプログラムのアシスタントチームに入ったんです。そこからが楽しかった!プログラムでガイドと参加者がまったなしの会話をする現場で、空調ひとつ、照明ひとつ、自分の意図でON.OFFする。それが参加者の進化につながっているわけですから、無上の喜びなんです。あの感動は、他では、味わえませんよ!


それでも最初は「人生賭けて、やるわけではありませんから、あまり期待しないでくださいね」なんて、言ってたんです。ところが楽しくて楽しくてあっと言う間の10年がすぎました。

当時の職場は休みが取れないので、やめて一年間、フレンチのお店で修行しながら、アシスタントをやり、会話力を磨いていきました。誰でも元々は、エゴの塊なわけで、そのエゴを手放すのですから確かに苦しみを伴いますけど、その分、突破したときの感動や喜びも大きい。そのお手伝いができることには本当にやりがいを感じました。まばたき3回したら、10年!が実感でした。
とにかく、毎日毎日たくさんの人と会話する日々で、それまでの生活とは180度違いました。そして、アシスタントをやる上での一番の醍醐味は、何と言ってもプログラムの中で参加者が進化する場面に立ち会える瞬間で、その度に「これだよな!」と思うわけです。
人の人生に違いをつくることに燃えはじめました。
最初の10年で、私はガラッと「グレムリン」のように変わりました。

人生観がなく、人目を気にして何も言わなかった人生から自分がやらなきゃ!とどんどんプロジェクトで責任のある立場を取るようになりました。

田ぐり庵エピソード


『必要は発明の母』とでもいいましょうか、自分たちに一番必要だったのが“田ぐり庵”でした。毎日、無我夢中で仕事をしていると、夜がどうしても遅くなりますよね。
当時(約15年前)は夜、きちんとしたご飯が食べられる定食屋はありません。居酒屋になってしまいます。「無いなら創ろう!」ということで、「田ぐり庵とグリーンテラス」というレストランを立ち上げました。話が出てから1週間で場所を決めてきた!そんなスピード感です。
女性で、お金がなくて、コネがなくて、キャリアがない。この何にも無い私たちが言葉ひとつで社会に打ってでようじゃないか!って教育を実際の社会で証明していくミッションを生きる仲間がいました。不眠不休で仕事しましたね。
この頃、田ぐり庵のマネージャーをやってくださいとある日突然言われました。会話ひとつでどこまでやれるか!の実践の日々です。
奇跡を次々と起こしました。みんなでミーティングしてて「ゴールデンウィークに入るから空港に人が集まるんじゃない?!空港で弁当売りたいね!」と話して1週間後には、なんと、空港でお弁当を売るようになったんですよ。
なんせ、何にもわからないから、空港のインフォメーションコーナーに行って「空港でお弁当売りたいんですけど、どこに行ったらいいですか?」と聞く無謀さです。

「福岡ドームに参入できたらいいよね!」って話していると、ある会合で隣に座った人が、福岡ドームの関係者だったんです。きっかけは、逃しません。早速口説いて一緒に仕事をするように持っていきました。
当時、同業他社の方から「飛ぶ鳥を落とす田ぐり庵!」と言われたほどです。
知らないって事は、いろいろと珍事件も起こします。福岡ドームにお弁当提案のチャンスがやってきて、「よ~し、飛び切り美味しいお弁当を持っていこう!」とつくったのが、“血のしたたるような”レアのステーキ弁当。これって衛生的に問題があって、業界ではやっちゃいけない事らしいんですね。
「美味しいお弁当を届ける」これしか、頭にないものだから、業界の常識って???なわけです。

このアマチュアイズムが実は奇跡のもとだったりするのです。そして、「美味しさの追求」と「衛生管理」をどう両立させるかということの勉強をさせていただきました。そこから田ぐり庵の工場が必要だって話になりました。
「よし創ろう!」となって資金をあつめましたよ。言い出してから工場建設まで4、5ヶ月という速さですよ。まさに、話し合うことのすごさを実証するのが田ぐり庵なんですね。

癌の体験


40歳の女ざかりの時、田ぐり庵ピークの時でした。岩田屋のトゥデイズレシピも始まって、忙しい毎日のなか、子宮癌になりました。「自分がやらなきゃ」という意地と、「この辛さから、逃げたい」という二つの言葉が自分のなかにありました。
癌という宣告にショックは、少しはありましたけど、「早く治して仕事する!」という言葉に引っ張られて、癌患者とは、思えない元気のよい病人でした!
「即入院してください」といわれた時に、「困ります、休んでいる暇ないです」と言った位です。病人らしくしてたら、本当に病気になっちゃうので、病室に仕事は持ち込む、病院食は一切たべない。という徹底ぶりでした。


癌を克服したというより、癌を処置したという感じです。それより、次をどうするか!が大切だ。と会得していましたから、病気を言い訳に落ち込むってことがなかった。
人生は、真剣勝負。言葉が現象をつくるんです。いつまでも、病気だ~~と悩んでるほうが、辛いわけです。
会話の探求をしてきて、良かったとつくづく思いましたよ。

癌の体験を綴ったエッセイブログ「松田幸和子の告白」はこちら→

メッセージ


私は誰もが絶対なりたくないという病気“癌”を体験しました。(人生最悪の体験)
そして、仲間と本気で話し合って無謀な挑戦を体験し続けています。(人生最高の体験)
みなさんは、言葉って何だって思います?
そんなこと、考えたことないかもしれないですよね。単なるコミュニケーションの道具だと思っていませんか?人間が言葉を持ってうまれたわけは?
産まれたときから、話すという能力をもっている人間の存在は?
言葉って、探求すればするほど、おもしろいんです。

そして、言葉をほぼ自動的に得たわたしたち人間は、言葉をあまりにもぞんざいにあつかっているかもしれません。
ほとんどの人が、言葉に区別がありません。
そのことが、自分の人生をがんじがらめにしている・・・・としたら。
「これを言ったら嫌われる」とか、「きっと、あの人はこう思っているはず」とか、聞かなきゃわからないわけでしょう?
そんな、妄想で人生を送っているんだとしたら、随分、遠回りをしていてます。
せっかく誰にでも与えられた能力のことば磨きをご一緒に体験してみませんか?
“世界一幸せな自分”を味わってみてください。