ガイド紹介

生涯現役を地で行くパワフルウーマン

guide No.5

長井 美鈴

1950年生まれ。福岡県出身。(株)NAGAI常務取締役。
ビジネス専門学校秘書課卒業。事務職を経て1978年NAGAIに受付として入社。
出産・育児のために十数年専業主婦。1997年再参加から現在に至る。
小さい体でみんなを包む楽しい言葉。気分は永遠の二十歳!母、妻、ガイド3役をこなす貴重な存在。接客・販売に関しては右に出るものはいない。60才直前での衝撃的なガイドデビューで今なお進化中!
→Facebookページへ

話道との出会い


20代の私は糸島の実家からバスで片道2時間のOL生活をしていました。
毎日、茶道に、華道、料理教室にダンス教室…と仕事が終わると習い事に通い、何か没頭できるものはないだろうか?と今思えば“何のために生きるのか”という人生の目標や生きがいを探していたんですね。
 天神の街角でビラをもらったんです。そこには『話道教室』と書いてあり、これは気になる!と思いながら引き出しにしまっていました。行こうか、行くまいか・・・・半年悩んで決心して行ったのが始まりです。私にとっては習い事の一環でした。
そうこうしているうちに、当時の仕事がとてもハードだったために、ある日過労で倒れてしまい続けることが難しいと判断し、会社を退職しました。
 大阪の叔父の仕事を手伝う話や、退職した会社の先輩との結婚話が出たりしたんですが、結局、話道教室のアルバイトのお話をいただき受付をすることになったんです。そして、九州各地の話道教室に同行するようになりスタッフの中でも親密になり、長井社長と結婚することになりました。当時20才の年の差カップルでかなり話題になりました。

結婚そして妊娠・出産


私にとって旦那さんは『自分の世界を持ったサラリーマン』でしかありませんでした。
お互い好きなことをしていて、本当に他人が同居している状態でした。
そして、36才で妊娠・出産。子供は私にとって最大の生きがいとなりました。
 旦那さんが八正道の“正”と文殊師利菩薩の“文”とで“正文(まさふみ)”と名づけてくださいました。夜泣きもしない、寒い日や大雨の日に外出してもまったく手がかからないいい子でした。顔も可愛くて、どの子を見てもこの子が一番!といつも親ばかをしてたものです。
その頃は、プログラムにも参加していないので子育てとはいったいなんなのか全く分からないまま「きちんとしなさい!」これが私の口癖でした。
 そうそう、幼稚園の入学式で校長先生の話を聞かずに勝手に走り回る子供が3人ぐらいはいるでしょう?その一人が、うちの子であ然としました。そのことが許せないのです!


 今、振り返ると私の子育ては本当にまずかったと思いある時、家で二人でいる時に、正文が「僕は天才だ~!」と両手を広げて大声で言ったんです。私は、「めっそうもない!天才なんて簡単に言うもんじゃありません!」と羽交い絞めにして叱ったんです。自分は大したことない人間だって否定感を植え付けてしまったと思います。「あなたは天才よ!」と言ってあげれなかった自分が悔やまれますね。
 人間はことばの動物だから言葉次第でどうにでも育つ。天才だと言われて育てば天才になり、バカだと言われて育てばバカになるだけのことです。母親の影響は絶対的で、それだけ責任があります。だから自分の失敗を教訓に、私は世の中のお母さんたちにもNCGに触れてもらって未来を支える子供たちを素晴らしく育ててほしいと切に願っています。
 今現在は、しばらく私達の元を離れていた正文君もNCGで人間力磨き中で、親子共々進化中です!
 以前は子育て=しつけだと思い込んでましたね。今は、“子育て=子供可能をのばすこと”だとハッキリ言切れます。

プログラム参加の再開


旦那さんから来たらいいよ!なんて一言もありませんでした。口では言わないけれど、深い意図があったんだということは今は強く感じています。息子のママ友が、NCGのプログラムに参加して「子育てのお母さんは、是非参加したほうがいいよ! 自分の言葉が全部子供に乗り移っていくから、子育て中の会話は大事よ~」と話してくれました。息子は息子で当時開催されていたチャイルドコースというプログラムに参加した頃で、「お母さん、絶対参加したらいいよ!」と言うんです。2人があまり熱心に言うので、「それなら・・・」と参加しました。旦那の会社といえども一参加者として、正式に手続きふんで1週間のプログラムに参加しました。そのころ、ちょうど父を亡くし、そのショックで半年ほど家から出ることも出来ない時期でした。
プログラムの中で「現象は生滅するけれども、ことばは永遠に生き続ける」というメッセージに出会い、父は亡くなったけれでも私の中にちゃんと生き続けてるんだ!いつでも私は父と出会うことができるじゃないか!と大感動しました。ガチガチに凝り固まっていた体がふ~っと軽くなるのを感じました。それから「人生は全部自分の言葉が創っている!」と言われて目からウロコでした!普通はこんな世の中だからとか、あの人のせいでとか、周りのせいにして生きるじゃないですか?!それが全部自分持ち?!なんか人生のパズルが解けていく感じでした。とにかくインパクトががあり、衝撃的でもっといろんな探求をしたい!とのめり込んでいきました。

田ぐり庵とのかかわり


ある日、車に乗って旦那さんが「面白いこと始めたんだ~」と言って見せてもらったのが当時平尾にあった“田ぐり庵とグリーンテラス”というレストランです。私の感想は「ふ~~ん」でした。その時は他人事だったんです。そうしているうちにお昼だけでも手伝って・・・と言われて2時間だけレジ打ちしたり・・と少しずつ手伝うようになりました。
田ぐり庵がデパートに納品するほどになったころ、大丸で大きなイベントがあり、2,3時間販売の手伝いに行ったことがありました。後日、大丸側から出店の依頼が来て、しかも、責任者は長井美鈴さんにお願いしますとご指名が来たんです。田ぐり庵としても、名指しでこられて個人的感情では動かせないし、出店のチャンスは願ったりかなったりでしたから、その条件で出店が決まり私の生活は一変しました。
専業主婦が朝から晩までデパート生活になったのです。

子育ての変化


母子ベッタリが一変、子供は一人ぼっちになってしまい、お友達が来て遊んで時間を過ごしたり、ごはんは田ぐり庵から届けてもらったり、時にはお友達の家にお世話になったりしました。ある朝、お腹が痛いと言う時があって、私はプログラムにも参加してましたから、何か言いたいことがあるんだろうね…と話して対応したり、スキンシップをとったりして方法的には対応してました。子供を置いて仕事に出かける後ろめたさがないわけではなかったです。
 私は小さい頃から、2人ともよく喋ってこんなに心の通じている親子はどこにもいない!と思い込んでいました。それも、今思えば、親のエゴで子供は言いたいことも言えてなかったんです。最近になってわかった事ですが、当時いじめにあっていたそうです。そんなストレスや葛藤があったことすら気がつかず毎日過ごしていました。
 そして息子が高校生のある日、高齢のお父さんの心臓の手術のその当日に、なんと家出してしまったんです。学校にはお見舞いに行くと早退したっきり行方不明。2日ぐらい経って、息子から電話はあったもののそれから音信不通。落ち込みましたね~。母親の言葉が子供を育てるのは知ってましたから、私は子育てに失敗した、母親失格だって自己嫌悪に陥りました。3週間位経ったころでしょうか?行方不明で心配してたら、NCGのメンバーの一人が交差点でばったり遭遇。すぐに元気でいることを知らせてくれて、どうにか探し出して家にもどって来ました。
 当時は、ダイアローグもなく、彼が本当は何が言いたいのか聞き出すこちらの対話力もなく、お互いが言いたいことを言いたい様に話してきただけだった事に直面しました。話をするって本当に奥が深いです。この事を通しても、そして今でもそう感じます。

ガイドデビュー


60歳直前のガイドデビューでした。

NCGに関わる前は、旦那さんは夜遅いので子育て中もママ友がたくさんいて、夕食は家でみんなでワイワイとご飯を食べたり、お花見、花火大会 イベントごとにお弁当作って楽しんだり、年2回は海外旅行に行ってフランス料理を楽しんだりと趣味を満喫する日々でした。“何か虚しい”この言葉が消えることはありませんでした。
 私はどう生きたらいいんだろう?とどこかで自問自答してました。残りの人生がだんだん短くなっていく事を自覚し始めます。NCGでは「人生の仕事とは何か、最初で最後の人生をどう生きるのか」の大きな問いを常に探求します。

その中で、“ガイド”という立場をとる事は必然的にやってきます。でも、私は自分がやりたい!というとこまで目覚めてなくて、これが私の問題点でもあるのですが、自ら積極的に志願するという姿勢ではなかったんです。それでも有難いことにお話を頂いて、“やらせて頂きたい!自分の人生の仕事はこれだ”と実感することができました。還暦手前にして新人!人生引退ではなくて、デビューだなんて恵まれてますよね。未熟な自分に直面する日々で、老けてる暇はない!というのが本音です。脳をどんどん進化させるぞ、と意欲満々に生きてますよ。ガイドの仕事を始めてからですね、長井社長の存在が私にとって“旦那様”から“人生の師匠”に変化したのは…

 知り合って何十年も経ちますから、長井社長の生まれ変わり具合を一番感じているのも私でしょうね。長井社長の脳の冴えぶりと言ったらもう目を見張ります。ボヤボヤしてたら置いて行かれてしまいますから、もう必死ですよ!

 大きいプログラムで、初めての参加者が社長やアコさんとの対話によって、むくんだ顔がすっきりして人相がどんどん良くなったり、本人が気づいてない所を承認されて顔がパッと明るくなったり、対話のすごみを目の当たりにすることができます。ガイドとして人の人生に関われることは、言葉をもつ人間冥利につきると思いますね。

今後の夢は?


脳の若さと会話美人!です。

 愚痴や不満があるとどうしても顔に出てしまいます。
 ここをもっとクリアにして、脳からの若さと内からにじみ出る美しさの美女チームを創っていきたいですね。そして、やっぱり人間として生まれた喜びをより多くの人が実感し、人間に生まれた使命・言葉に目覚める人、NCGメンバーをもっと増やしていきたいです。そこから、とまと博やいろいろなプロジェクトを共に創っていきたいですね!
 人生って、いくつになっても対話しあえる仲間がいれば何でも出来る面白さをいろんな人と分ち合いたいと思ってます!