ガイド紹介

多彩な能力をもつ、承認の天才

guide No.7

吉冨 俊

1980年12月20日生まれ。福岡市出身。
司法書士ダイアローグパートナーズ事務所所長
2016年8月より正式にガイドになる。NCGのプログラムに最初に参加したのが2010年10月。2011年12月、独立。多彩な能力を発揮してダイアローグシェアSHOWの名アクター、すいみん館の名誉顧問としても大活躍。彼の承認力には20代から60代まで女性陣の誰もがメロメロ。
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生い立ち


ジャズ好きの外科医の父・専業主婦の間に産まれた男3兄弟の次男坊なんですよね。大体、ふつう男3人もいれば、一人ぐらいは「医者になれ!」とか言われるじゃないですか。父が好きなことばかりしている人で、ああしなさい、こうしなさいとか言われた事とかないんですよ。家族で話し合った思い出がぜんぜんなくて。
はっきり言って「放し飼い状態」ですよ!今思うと、そんな父の気を引きたかったんでしょうね。小1からピアノを習い始めたんです。
勉強もそこそこ出来て、有名進学校を進められましたが、吹奏楽で有名な某高校に進学しました。学歴社会への反抗心と“人生での失敗を味わいたくない”そんな思いもあったのかな。高校時代、音大を志望校にしていました。なのに、理系のクラスにずっといたんです。だから、クラスメイトからは「音大志望なのになんで理系のクラスにいるの?」とよく聞かれました。その時は、誰にも本音は言いませんでしたが、外科医の父から「医者になって欲しい。」この一言を言われるのをどこかで期待していたんですね。

けれど、父からの一言はなく・・・・
結局、音大受験は失敗しました。
 1年浪人し、もともと勉強は好きだったから翌年福岡の某大学の法学部に合格しました。
 大学時代、美容室でアルバイトもしてたのもあって金髪のベリーショートやドレッド・アフロいろんな髪型でDJしてました!今の僕から想像できないでしょう?自慢ですが、200人の大規模イベントで最高の盛り上がりを演出するなかなかの腕前だったんです。そして、就職活動が始まるんですよね・・・。
 大学3年生でも金髪のままだったし、日頃学校に来てないヤツも真面目にスーツを着ている姿に無性に反発心が湧いてきて「何の為に働くんだ?」疑問を持ったまま、とにかく、先ずは手に職をつけよう。そんなところから司法書士を目指すことにしました。4年半、試験のことが頭から離れる日はありませんでしたね。まさか、3回目も試験に落ちるなんて思わなかったんです。3回目落ちた時は、あまりの挫折感に号泣しながら雨の中、山道を10km走りました。
 濡れネズミのようになった時に当時付き合っていた彼女が会いに来てくれて一言。
「俊。本気で頑張ったの?」
淡々と言われて、その言葉がグサリと突き刺さりました。

「本気でやったなら、やめてもいいと思うよ。そうじゃないんだったら、本気でやれば受かるよ。」
「本気でやったの?」この一言に撃ち抜かれました。
あれは、人生を変えた一言です。自分は100%やり切ってないことは自分が一番知ってますからね。
その言葉に動かされて4回目の試験に見事合格。数年後、共同経営で事務所をもつことができました。
結婚もして、もうすぐ子供も生まれてくる・・・・。
社会的地位も経済面も充実していて表面的には人生が順調に見えていましたがどうしようもない不協和音が響きだしていたんです。

NCGに関わるきっかけ


29歳。嫁さんのお腹が大きくなり始め妊婦らしくなってきた頃二人の関係は最悪でした。

 元来、失敗する事を怖がる性格で、司法書士の仕事が増えれば、増えるほど不安がつきまとって眠れなくなってしまって、睡眠薬も時々服用してました。
 自分で抜け出す方法もわからないし、嫁さんなりに“ああしたら、こうしたら・・”と言ってくれるんですが、解決するはずもなく僕は「わかってくれん!もういい!!」といじける毎日。

あの頃は、本当につらかったですね。
 嫁はとうとう実家に帰ってしまいました。
 そんな時に、すでにNCG関わっていた義理の父が僕たちの関係を見かねて、まず最初に何か役に立つんじゃないか、と「生きた佛教」という本を薦めてくれました。その本にものすごく感銘を受けました。 「NCGのプログラムにも参加したらいいよ。」と言われましたが「お父さんと話せるからいいです。」と断ってました。本音は人と関わるのが怖かったんです。決心するのに、4ヶ月かかりました。
 根気よくすすめてくれた義父には本当に大感謝です。そこで初めて“ダイアローグ”という言葉にも出会いました。 そこから少しずつ自己探求が始まりました。

初参加のプログラムでは自分の言った事に、人が感動して涙が出た!と言ってくれたことに素の自分を出していいんだ!と安心感が広がったのを覚えています。それが最初の思い出ですね。
 「何のために生きるのか」という人生観を極めたい、人と人間関係を創ることを本気で学びたい、そう思い、全てのプログラムに参加し、NCGメンバーになりたいと思ったんです。

人生観と仕事


NCGに入って「なんのために仕事をするのか?」「自分の人生、どう生きたいのか?」
人生観の探究がどんどんと進んでいきました。
“ 仕事でも人を勇気づけ、元気づけていきたい!”
 これが、自分が何のために仕事をするのかという方向性が定まった瞬間だったんですよね。
自分の言葉で人を力づけ、本音を言えなくて苦しんでいるクライアントさんと仕事の枠を超えて、人生のパートナーになる!そんな思いから、自分の城を持つことを決心しました。
最初に参加した“ダイアローグ5.5”の感動とダイアローグの提唱者デビィット・ボーム氏と誕生日が一緒だった事がキッカケとなり、2011年12月「司法書士 ダイアローグパートナーズ 事務所」を開業したんです。独立して大変だけど、一番の喜びはクライアントさんと本音で出会える瞬間の感動ですね。
そういう時って相手も感動してのがわかるんです!
この感動は言葉で表現するのはむずかしいですが、
“生きてて良かった~~!”そんな感じです。

承認の天才


僕って、女性を喜ばせるの得意なんですよね。
「俊君は、思っても見ないような言葉で勇気づけてくれるよね!」と言われます。よく話すNCGの女性メンバー曰く、「欠点をさらし出してもそれをすごく認めてくれる!」そうです。
NCGメンバーの中では承認の天才という異名をとってます。
 それも、少しずつ見えてきたのは、母親との関わりだったんです。
小さい頃から家の中がいつも暗くて、何とか母親を元気つけたくて、笑って欲しくて必死でした。母親の喜びそうな事をいつも言ってましたね。
だから女性を見たら、とにかく喜ばせたくなるんです。

この探究のおかげで本音は“嫌われたくない!”そんな思いから、八方美人になっていて人の顔色ばかり気にしていた自分にも気が付きました。でも、今は人を喜ばせるのに、人の顔色を気にすることない!と開き直れて思い切り、言えるようになりました。自分が言った言葉で人が元気になるって、最高じゃないですか!?人生は、人の喜びを自分の喜びとして感じられるから充実したものになっていくんだと思います。
 自分の人生観がいろんなプログラムに参加する度に深く・広く・楽しいものになっていくのを感じていてこれからが楽しみですね。